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NO.73 2010. 1
川田あつ子のつぶやき


ショックです・・・信じられないです・・・
巨人軍のエース投手だった
小林 繁さんのあまりに急で、あまりにも切なすぎる訃報…

私にとって、幼少期の頃から
小林 繁氏(投手)、水谷 豊氏(俳優)、矢吹 丈氏(ボクサー)
この3名の方たちは特別な特別な存在です。

背番号19番・小林投手が巨人のエース時代、
登板の際は必ず、TV中継にかじり付き、
彼が投げる渾身の一球一球をいつも息を呑んで見守っていました。
時にはスタジアムまで足も運ばせて頂きました。

兄貴の影響も間違いなくあったとは思いますが、
「週刊ベースボール」が愛読書になっていました。
彼が掲載されているときは迷わず 2冊購入です。

彼のピッチングポスターも部屋に飾っていました。
憧れのスポーツマンで大好きでした。
ファイルブックも作成して切り抜き、記事等も収集しました。

サイドスローがよく似合う スレンダーな美しい選手で、
投球の際、野球帽が飛ぶところなんて・・・
絵になり、しぐさのひとつひとつが実にスマートで、
惚れ惚れするくらいダンディズムなカッコいい投手でした。

そして、江川 卓氏と トレードの際には、
誰しもが胸中、穏やかではなかったことと思います。

その渦中の当事者本人の会見で彼の言葉を耳にし、
幼いながらも総てを受け入れた記憶があります。。。

どの業界もそうなのでしょうが、
大手のやり方というものは理不尽なことが多いです(`へ´)

しかし、その後、本人同様 「巨人VS阪神」は燃えましたね!
小林投手登板の際は普段、巨人ファンの私も阪神大応援に変貌です。
この時代に小林投手と共に戦った阪神選手たちも素敵でした。
懐かしい画が頭の中で蘇り・・・とても切なくなります・・・

小林投手は男の中の男でした!仕事で見せてくれました!
この時代の彼の勇姿には魅了されるばかり・・・

それから・・・精魂尽き果てたのか、心労が募ったのか、
真意は定かではありませんが 1983年野球界引退。短かった・・・

個人的には、ボロボロになっても現役を続けてほしかった・・・
実績ある投手だが故に野球界に携わっていてほしかった・・・
だって彼は間違いなく野球が大好きな少年で、
野球小僧だったはずだから・・・

各々の考える美学があるから仕方ないですが・・・

その後、タレント、歌手、実業家の小林 繁氏には
全くといっていいほど興味が湧かなくて、
勝手に もういないものとして私自身を納得させていました。

余談になりますが、かつて某不動産屋さんにて一度遭遇したことがあるのですが、
実業家としての一面・・・今まで正直、記憶から葬ってました


ある時、風の便りで小林 繁氏が野球界に復帰して、
またユニホームを着られたとの話しを聞いたときは、
凄く嬉しかった瞬間だったことを思い出します。

選手ではないので表舞台でのクローズアップは
今はまだ少ないかも知れないけど・・・それで、いいのです!って、

また いつの日にか小林 繁投手コーチの秘蔵っ子誕生!
なんていう時代が必ず到来するんだから・・・と、
楽しみに彼の動向を影ながら応援していた一人でもありました。

それから 久々の小林 繁さんの映像!
With 江川 卓氏とのコマーシャル!

若干、親父にはなっていたけど、燻し銀の魅力を見せてくれました。
相変わらずのスレンダーぶりは健在!お見事です!
何もかも時間という流れが解決していたようでした。。。
嬉しかったなぁ・・・大人の色気漂わせ素敵でした。

そして日ハムの1軍投手コーチとして、これからという時季に・・・

投手コーチとして・・・
次世代を担う第2の、第3の、小林 繁魂を継承する
たくさんの投手をもっともっと育成してほしかった。悔しい・・・

勇姿をいっぱい・・・現役時代 ほんと、いつもカッコよかった・・・
突然すぎてショックです・・・さみし。。。(/ ;)

背番号19番・小林 繁投手 心よりご冥福をお祈り致します。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

知らない方のために・・・小林 繁氏 野球経歴・・・魅力あるこんな人です

1952年11月14日、鳥取県生まれ。
由良育英高(現・鳥取中央育英高)から社会人野球の全大丸を経て、
1972年:巨人入団。 1976年から2年連続で、18勝を挙げるなど活躍。

1979年:阪神に移籍し、同年 自己最多の22勝。 1983年:現役引退。

1997年〜2001年:近鉄(現オリックス)で投手コーチ。 2007年:韓国プロ野球SKで2軍投手コーチ。
2008年から日本ハムの2軍投手コーチ就任。 2010年:今季から日本ハムの1軍投手コーチ昇格。

THE END


NO.72 2009. 12
柳 憂怜のつぶやき


舞台 『十二人の怒れる男』を終えて

8年前、作:清水邦夫 演出:蜷川幸雄
「心情あふるる軽薄さ2001」という舞台に出演させて頂いた折、
「あぁ、もう蜷川演出作品にはお呼びが掛かることはないだろうなぁ…」と、
何故か大した理由もなく漠然とそう思ったことを思い出した。

否、本当は理由はなくもない…
あまりよい仕事ぶりだったと思えなかったからだ。
決して手を抜いたとか自分自身納得のいく仕事ぶりではなかった
ということではない。あくまでも客観的に判断しての感想だ。

本来、ボクらの仕事は一発勝負である。
与えられた場面で与えられた役をこなす。
演出家、監督、ディレクター、プロデューサー等のお眼鏡に叶う仕事を。
それが出来なければ次はないのである。

当時、一緒に出演させて頂いた、たけし軍団のメンバー等は
その後も蜷川作品に出演していたが、
案の定、ボクに蜷川作品からお声が掛かることはなかった。
そして蜷川作品はボクにとって、ただただ いち観客となり
観劇するだけの作品となって行った…

そして月日は流れ、2009年6月某日
事務所からの電話で、「えっ?」となった。
俗に言う我が耳を疑うというやつである。

事「舞台の仕事が決まりました。蜷川さんの作品です」
事「まだ詳細は出ていませんが、『十二人の怒れる男』という題名です」
柳 「えっ?守衛の役?」
事「いやぁ…まだ役は決まってない様ですが…
多分、陪審員の一人だと思います」

電話を切った後、考えた。
『十二人の怒れる男』という作品は法廷劇の名作である。
ワン・シチュエーションの密室劇、完全なる台詞劇である。
恐らく膨大な情報量の台詞の応酬であろうことは容易に想像できる。

ただでさえ台詞の苦手な私である。しかも あの世界の蜷川演出である。
灰皿をはじめ手近かにある あらゆる物が飛んでくるのである。
(かつての話です。今はそんなもの滅多に飛んではきません)

稽古まで まだ4ヶ月もあるというのに、もう緊張感が走る。
一瞬 「無理!」断った方が良いのでは…と弱気な考えが浮かんだ。

何せ、8年前の「心情あふるる軽薄さ2001」では、
1/50 の役割ですら上手く出来なかった奴が、
1/12(正確には1/13だが)の役割の重責を担えるとは到底思えなかった。

が、8年という歳月は人を変えるに十分の時間である。
良い意味でも悪い意味でも…ご多分に漏れず私も例外ではありません。
多少の現場を経、図々しくもなったし、開き直りもできた。
いち地方都市のごくごくありふれた一般家庭の血筋に生まれ育った人間である。
そもそも特筆すべき点など何ひとつない普通の男である。

「そんな奴だ、芝居などできなくても当然である。要求する方に無理がある」
近年、ボクが提唱している理屈である。
否、芝居という仕事を続けていくための免罪符であり、屁理屈である。
まぁ上手い下手の基準なんて何処にもないみたいだし、
それに殆どの人がよく分ってないみたいだし…いい加減なのである。

ようし、8年振りの舞台、いっちょ頑張ってみっか!
駄目だったら蜷川さんのせいにすればいいんだし…
そう思うと気が楽になってくる。
So what?だから何だってんだってことだ。

舞台 『十二人の怒れる男』に出演させて頂くことになったのでした。

前々回の教訓を基に台本が手元に届いた日から台詞を入れ始めた。
前々回の教訓とは…蜷川さんの舞台は
稽古初日から立ち稽古が始まる。勿論、誰も台本など持っていない。

演劇界では有名な話なのだけど、初めてボクが蜷川演出作品に呼ばれた時、
ボクの周囲に そんなこと知っている者は誰ひとりとして居らず、
稽古初日、蜷川さんの目の届かぬところで必死に台詞を覚える羽目になり
冷や汗をかいたという非常に寿命の縮まる経験をしたのです。

斯くして、台詞も全て入り 準備万端、
稽古初日を迎え、8年振りの蜷川さんとの再会という日。

蜷川さんより、開口一番「前の台本は捨ててください」
と、数十枚のプリントを手渡された。
えっ?と言うことは・・・覚えた台詞全部忘れろってこと???

事前に渡されていた上演台本は、原典とはかけ離れ、
勝手に構成し直されたものだという事が発覚したとのこと。
よって、演出助手の大河内女史がゼロから翻訳し直すという…
前代未聞の稽古初日を迎えたのです。

毎日 数頁づつ上がってくるシナリオを全員で読み合わせをし、
各々が気付いたことやアイデア、疑問等を出し合い、
脚本を練り上げながら稽古をし、芝居を仕上げていく様は
まさに、誰が名付けたか『中高年演劇部』

本来ならば スタート時の大きなつまづき、とも言える
このアクシデントのお蔭で結束力も強くなったように思うし、
何よりボク自身、かつて たけし軍団の一員として
皆でワイワイやりながらコントを作っていたときのあの感覚を思い出し、
いつの間にか当初抱いた不安など、
すっかり忘れて稽古に望むことができたのでした。

脚本も完成し本格的に稽古が始まってしまえば
そこは流石の『中高年演劇部』
ベテランの方々の台詞覚えの早さ、芝居の達者さには感服です。

柳 憂怜 演じる陪審員2号は役柄の性格上、
舞台上では皆さんのお芝居をじっくりと見聞きしてるため、
夫々の達者さが本当に良く分る。時には本番中にも拘らず、
「みんな本当に上手いなぁ・・・オレ、こんなところに居てもいいのかなぁ…」
なんて、すっかり素に戻り恐縮してしまう瞬間があったりして、
自分の台詞を忘れそうになって慌てて集中したり…
まぁ、二ヶ月近くやっていれば色々なことがありますなぁ…
その手の話は何れ機会がありましたら。

楽しいエピソード等は他の出演者さん達がブログやサイトで
紹介されていると思うので、ご興味のある方は覗いてみては如何でしょうか。

まだまだ先と思っていた本番も始まってみれば
あっという間に過ぎ去り、連日立ち見も出るほどの大盛況の内に
無事千秋楽を終え、蜷川さんにお礼と最後のご挨拶に伺った際、

「今回は憂怜にしか出来ない芝居だったな。また宜しく!」
役者にとっては最高の賛辞の言葉を頂いた。

しかも、あの世界の蜷川幸雄氏にである。
一瞬 『社交辞令?』 の言葉が浮かぶ。
普段 誉められることに まるで免疫のない人間である。
誉められて調子に乗ってしまうと ろくな事にはならないと、
師匠であるビートたけし氏にしっかりと教えられてきた男である。

決して舞い上がらないためには冷静に賛辞を受け流す、
真に受けないのが一番の方法である。
が、蜷川氏はこう言うであろう「バカ!俺はお世辞なんか言わないよ」

それもそうだ、ボクなんかにお世辞言ってもしょうがない。
意味がない。メリットがないのである。と言うことは…
そうか、素直にお褒めの言葉を頂いたと喜んで良いのだ。
ただし浮かれて舞い上がらぬ程度に。

果たして今現在、俳優と呼ばれる人種(自称も含め)が
どのくらい存在するのか定かではないが、
基本的には ひとつの作品のひとつの役には ひとりしか選ばれない。
即ち 今回の作品には
12人(正確には13人)の役者しか選抜されないのである。
数多いる役者の中からの12人である。
それだけで大した名誉なのである。

蜷川さんから頂いた役者冥利に尽きる一言をモチベーションとし、
また明日から職探し(次回作)の日々が始まる。。。
THE END



NO.71 2009. 10
川田あつ子のつぶやき


きゃっきゃっ♪ 久しぶりの更新だわ(^^;
月日が経つのは早いなぁ…ほぼ2ヶ月後には、
「あけましておめでとうございます」とか言っちゃってるのよね…


なんか この季節・・・落ち葉がハラハラと切なくなるなぁ。
「女心は秋の空」って感じ? あらっ、おセンチ…

実は この10月から自分のレパートリーを増やすため、
新たに古代エジプトから続く伝統的な踊り、
「ベリーダンス」に挑戦する予定だったはずが、

がっ、がっ、がっ・・・

なにをどう間違えたのか、
あの妖艶かつ官能的な動きとは似つかわしくない

な、な、なんと〜〜っ、とっ、とっ、とっ・・・

格闘技系 「ファイティングエクササイズ」の
レッスンを始めちゃいましたぁ!!

いや〜ハード!ハード!笑っちゃうくらいハード!
一時間でバケツ一杯分くらい汗かくんじゃないの。
初日なんて背筋やら上腕三頭筋、ハムストリングスが
パリッパリッのパキッパキッで、妙な快感〜♪♪

普段、鍛えてるつもりなンだけどなぁ…まだ足らんか!?

和製アンジェリーナ・ジョリー(似)のSEXYなコーチには、
「ほんと初めてですか?ひとつひとつのカタチが綺麗!」と
お褒めのお言葉を頂き、只今すっかり調子に乗り中!(^3^)
「褒めて〜褒めて〜もっと褒めて〜〜♪伸びるから♪」

元々ね、「あしたのジョー」の主人公・矢吹 丈氏が大好きで、
丹下段平のおっつぁんの教えは耳にタコなの。な〜んてね!

関係ないけど、「あしたのジョー」関係のBOOKは、
たくさん持っているのにも関わらず・・・
只今 「あしたのジョー」は週刊現代にて復刻連載中!
まんまと講談社の罠にハマリ せっせと購入!永久保存版 ^^;
因みに 初小説出版時の際、主人公の人物像は
矢吹 丈氏同様、孤児でボクサーという設定。ほんと余談でした。

さて本題にもどりますが、
もっともっと トレーニングを積んで、コンビネーションが
画になるようになったら、映像(芝居)で
表現できる機会がもてるといいなぁ…と、思ってます^^v
でもガチ対戦は無理!絶対弱いも〜ン!

あくまでも型、カタチにこだわりたい。
目指すはエアー格闘家か!?

スポーツ全般にいえることなのでしょうが、
「軸」は非常に大事よね!ブレ禁!
もっともっと インナーマッスルを強化しようかな…
あくまでも 細マッチョ〜!!  が好み♪

「体力増進♪ストレス解消♪ブタボ対策♪」と一石三鳥!

ファイティングは心美体エクササイズだと思うなぁ。
面白くて爽快でいいですよ〜かなりオススメかも!
ただ 言っとくけど……ハードよ!^^;

来世、大きく生まれ代わったら格闘家にでもなってみるかぁ?
こればっかりは絶対、デカイほうが圧倒的に有利だもんね。
でも痛いよね…絶え難いね…やっぱヤメよ。

読書も良し、スポーツも良し、創作に励むのも良し、
秋の夜長を有意義に過ごしてみてね♪ Ciao〜 !!
THE END


NO.70 2009. 5
柳 憂怜のつぶやき


「受け止めません。受け止めたくありません!」
これは、忌野清志郎氏 の訃報を聞いた泉谷しげる氏の第一声である。
「アイツに(死)は似合いません」 全く持って同感である。

報道によると、
5月2日午前 0時51分 ガン性リンパ管症により
都内の病院で亡くなったとのこと。
が、非常にダサい言い方なのかもしれないが、
亡くなったのは、あくまでも栗原清志氏(本名)であって、
忌野清志郎 ではないとボクは思ってます。
勿論 ボクだけじゃないと思いますが…

先の泉谷も、
あっ、ここでは敢えて敬称略の泉谷と呼ばせて頂きます。
本来ならば芸能界の、人生の、先輩である人なので、
「さん」もしくは「氏」と記すべきなのですが、
鼻タレのバカなガキの時分から彼の音楽を聴いてきたモノとしては、
ここはやはり敬意を込めて泉谷と呼び捨てにさせて頂きたいと…
まったく同じ理由でもって、清志郎と呼ばせて頂たいと思います。

昔からのファンならよ〜くわかって貰えると思います。失敬。

話しが脱線しましたが、
そう、泉谷も同じ気持だからこそ先の発言なのでしょう。

まあ、そんなことはさて置き、今回のことでボクにとって
一番重要なのは、清志郎は死んだのか?
ということではなく、彼の咽頭にガンが出来たってこと。

言うまでもなく、ガン細胞の切除手術を受けるということは、
シンガーにとって 一番大切な声を失うということ。

人生は時としてこのように実に皮肉で残酷なことが起きる。

彼は試されたのだと思う。

本当に Rock に命を掛けているのかと?

そしてその答えは…やはり彼は本物だった。
偽者だらけの世の中で数少ない本物だったよ。
本物のロックンローラーでバンドマンだったぜ。

何故、彼は試されたのか?

それは彼が選ばれた人だから。

彼が今まで色々な横槍や権力に抗いながらも、
繰り返しメッセージし続けてきたことを、
皆が真剣に考えなければいけない時に来ているんじゃないかと思う。

そのメッセージは彼の残した作品や発言のあらゆるところに
手を替え品を替え、姿かたちを変え
散りばめられているので油断はできない。

この度の一連の報道で初めて
忌野清志郎 を知った人は勿論、今までファンだったやつらも
いま一度、彼の伝えたかったメッセージを真剣に考えた方がいいと思う。

これから先の、ボクの歩んでいく先には常に彼がいる。
ボクの半分は間違いなく 忌野清志郎 で出来ている。

そしてボクは決して発表されることのない
彼の新譜を一生待ち続けることになってしまった。
Bluseはまだまだ続くってわけだな。ベイべェ


栗原清志氏のご冥福 心よりお祈り致します。
THE END


NO.69 2009. 2
川田あつ子のつぶやき


今年に入っても相も変わらず …ったく
不愉快なニュースばかりが目につく中、なんとも嬉しく
微笑ましい友人たちの幸福便りが相次いだ♪

★〜 Happy Wedding 〜★

白石まるみちゃんの再婚!野村真美ちゃんの結婚!
二人共、私より年上で姉貴ではありますが、
20年以上の付き合いをさせて頂いている魅力ある表現者たち。
偶然にも共に2歳年下の建築家さん、プロデューサーさんをGET!

昨今 男女共にシングルライフ傾向にある中、
兼ね兼ね「結婚って、恋愛とは全然意識が違って、
相手次第では面白くて お互いの成長が楽しめるものだと思うよ。」と、
公言してきてる者、故にホントに嬉しい〜!!

ましてや 40歳半ばにしての再婚、初婚は
ライフスタイルが確立してるだけに難しい決断だったと思う…
が、逆に自立できてる同士、ルールさえ決めておけば
尊重し合い干渉なしの気ままな結婚生活が送れると思うなぁ。
若いときの、勢いと成り行きとは全然訳が違う、
まさしく大人結婚だよね…ブラボ〜♪

「真美、まるみちゃん、おめでとう!末永く旦那様と仲良くね」
真美とは生涯 現役の女であり続けようね。なんて
よく話してきただけに感無量!友として非常に喜ばしい!
彼女も嫁いだ幸福エネルギーを実感しているようでした。
また、まるみちゃんのウエディングドレス姿も綺麗だったなぁ。
とても高校生の娘さんがいる母とは思えない…
二人共、日頃から女磨きを怠っていない証だね!ステキ☆

人の幸福笑顔は平和だね♪
こっちまで Happy Energy を頂いちゃいましたぁ〜^^

大きなお世話!だとは思いますが…独身者の中には
「相手がいない」「ラフスタイルを壊したくない」
「今更人に合わせられない」「自由がなくなる」「面倒臭い」等々
という言葉をよく耳にしますが…どうなンだろう?
結婚に対する既成概念が邪魔してるンじゃないのかなぁ?
また相手に過剰に求めてたり期待してないかなぁ?
男女共に自分のことは棚に上げて相手に条件厳しくなってなぁい?

そもそもが他人同士、合わなくて当然なンだから!
相性が合う?…それは恋愛中の錯覚だね、
相手に求め過ぎはダメ…後々ストレスや揉める元凶。
相手の有りのままを受け入れる!これが一番。

相手に変化を無理強いするなンてことは絶対に禁物!

でも…上手〜く変える術はあると思うなぁ…
自分が変わっていけば相手も確実に変わっていくンだよね。
お互いがいい意味で変化していく…成長していく…
そして新たな発見もできたりと面白い展開になっていく。
「人は鏡」って言うけど…うん、ホントそう思う。

また人間(自分含)ほど愚かな生き物もいないよね。
しかし困ったことに…脱線してる人間ほど、
これがまた凄く魅力的だったりするものです。
壊れ具合にもよるけど軽く破綻気味な人間…割と好きです^^

この殺伐とした時代、一人でも多くの人が
信頼できる人と喜怒哀楽を共有して、
豊かな心を共に育んでほしいと節に願う今日この頃。
THE END


NO.68 2009. 1
川田あつ子のつぶやき


昨年から新たな試みをしています。
今年もスニーカーを履いて、この寒空をテクテクとウォーキング♪
それは…「七福神めぐり」 。近年、新春にハマッテます。

知らない方のために少々ご講座〜「七福神めぐり」とは?
  七福神(大黒天・恵比寿神・毘沙門天・寿老人・福禄寿・布袋尊・弁財天)を
祀る寺社を巡拝することなのです。

都内の「七福神めぐり」のコースは、ほぼ徒歩で2.、3時間前後くらい。
ただ歩くだけではなく、七つの寺社をめぐる楽しみがあるのです。
知らない街を探検する楽しみ、知ってる街でも意外な発見があったりと…

各コースでは各々工夫をこらした神像(人形)や
御朱印等を授与しています。
これらを集める楽しみもあるのですぅ。

私等はもっぱら神像(人形)集めに励みます!
画像見て〜!かわいいでしょう♪(^^)
1像/500円×7像+お台/500円 巡拝の際にはご用意くだされm(__)m

七福神にお願いごとをしてみてもいいかもね?
それを期待する楽しみもあるかもね?
因みに私は、おみくじ、神頼み、そのテの類はやらないンですよね…(^^:
興味があったら是非!!
貴方なりの楽しみ方を見つけてみてくださいな。

また各コースの各寺社の建物を見て廻るのも楽しいですよ。
年の初めに心が浄化されるような清々しい気分になれることもお得!
今では20代、バブリってた時代が無恥に思えますよ(--;
若さ故の過ち、愚かじゃったのぉ…
それが若さというものなのか… 今の私、結構好き♪


昨年、2008年 新宿山手七福神(新宿区)めぐり


神像(幅17センチ)

神楽坂「善国寺」〜新宿「太宗寺」と巡ってGETした神像です。
初めての「七福神めぐり」ということもあったのでしょう…
凄く面白く、ウキウキと楽しかったなぁ。
場所も下町・神楽坂スタートだったので情緒もあり、
こんなところにこンなンが?…と、色んな発見があったりgoo〜!

また下った牛込柳町近辺の「経王寺(大黒天)」付近には、
私の父方本家のお墓もあり、新年のご挨拶がてら、
ババチャン(曾祖母)、祖父、祖母の墓参もできましたぁ(^^)

皆さん、帰郷?皆さん、海外脱出?
この時期、東京に滞在してると普段が嘘のように人も車もいない。
う〜ん、やはり東京は地方出身者の集まりだと実感する瞬間だなぁ〜
今やこの情報満載時代、地方も東京も何らちっとも変わらない。
むしろ最先端は地方のほうだ!とさえ感じますよ。



今年、2009年 元祖山手七福神(目黒区・港区)めぐり


神像(幅30センチ)

白金台「覚林寺」〜下目黒「滝泉寺(目黒不動)」。
まだ2箇所しか巡ったことがないので大層なことは語れませんが、
「新宿山手七福神」と比較すると、さすが白金!
近代化されたシロガネーゼ?セレブ?の匂いがして、
少々情緒には欠け、距離も短く、
個人的には物足りなかったなぁ…気のせい?
But、だるまさんのカタチをした神像はとっても魅了的でした。

以前、白金、都立大等に住みついていたことがあるにも関わらず、
「滝泉寺(目黒不動)」には出向いたことがなくて、
今回、足を運べたことに「収穫あり〜っ」て、立派な寺院でしたわ♪
不動明王に見つめられ新年早々、背筋が「ピンッ!」…ヤバっ(^^;

久しく中目黒付近の地を探索したことがなかったので、
近年の様変わりようには少々驚いた!!
近代化も良いけどさ、残すものは残していこうよ〜寂しいよ。

来年、2010年の「七福神めぐり」候補は、
「浅草名所七福神」(台東,荒川区)、又は「千寿七福神」(足立区)、
又は「淡路島七福神」(兵庫県)、情緒を求めて…出没予定!
来年、どこかで会えるといいなぁ〜 じゃぁ またね。
THE END


NO.67 2008. 9
川田あつ子のつぶやき


先日、久々に同期の白石まるみちゃんに再会!
めちゃ懐かしく嬉しかったなぁ…
マスメディアがよく使う、「花の82年組」の一員ですよ。
この1982年という年はザッと新人が500組もデビューした壮絶な年。。。

ぜんぜん会ってなくても、あの激動の芸能界を生きてきた
戦友同士っていうの…(大袈裟?)通じ合うものがあるのかなぁ…
時間経過なんぞは一瞬にして埋まってしまいましたね。

その後、話しは尽きることなく時間が足りないくらい…
この時代の仲間はやっぱり良いよね…好き♪
多くを語らなくても、なんか理解し合えてる関係…素敵な仲間♪

そして一通り話した後の結論は、
やっぱりあの時代の芸能界を経験してきた人間は、
地肩ができてるというか、いい根性してるというか、しぶといよね。
…なんて話しに落ち着きましたぁ(笑)
うん、うん、肝が座ってますわぁ…私たち(^^;

すると彼女が徐に、You Tubeからダウンロードしたという、
アイドル歌手時代の映像を携帯画で見せてくれた。

「この後ろにいるのあつ子ちゃんだよね?」
「え?何?どれどれ?え?何これ?あぁ可愛い!まるみちゃんだ♪」

「もうすぐ、あっ!今のあつ子ちゃんでしょ?隣りは明菜ちゃんでしょ?」
「え?わかんなかった…今の私??隣り明菜?」

「うん、またカメラが動いて…今度はしっかり写るから」
「携帯の画面じゃ小さいよ〜ン・・・」
「いいから、いいから、次、次、見てて!」

「ハイ、あぁ〜間違いない!私!、私だわ!隣りは明菜!そうそう!
私、今流行のバルーンドレスじゃん!笑える〜」

「丁度、このYou Tubeをマネージャーと見てて、
あつ子ちゃんの話しもしてたところだったの…そしたら会えた!」

「まさに引力だね!…まるみちゃんの楽曲って、
確かユーミン夫妻だったよね?」

「うん、そうそう、ねぇほら見て!たけしさんも写ってるンだよ」
「うぉ〜なんで?世界の北野〜若い!コレって…」
「そうそう、アイドルパンチ」
余談ですが、この時代はまだ 「たけし軍団さん」は結成されてなかったとのこと。
因みに、この番組のディレクターさん(当時)は、うちのハズバンド(柳 憂怜)の
所属事務所の社長さんになられたそうです。私は後から知りました。


ってな一連の会話で大盛り上がり!

そんな彼女も高校生の娘さんがいると、
携帯の画像を普通に見せてくれた。
勿論、お子さんがいても何ら不思議なことは何一つない…

「ドキッ!」

シチュエーションのせいもあったのだろうか?
夕焼けがとても綺麗に出ていてタイムスリップしていた私は…
何故かセンチメンタル陥っていた。
ふと横を見ると彼女はすっかりお母さんの顔になっていた。

しかし、恐るべきはYou Tube !
自宅に戻り、もしかして?もしかして?いや〜恐ろし〜
でも一応、確認…いや〜ン、やっぱり…あったらどうしよう?

ひとり葛藤しながら…冷や汗かきながら…恐る恐る検索〜GO!
「うぉぉぉ〜〜ヤバすぎ!あるじゃん!」
とりあえず今日のところはCLOSE!
心の準備が出来てからにしよう!身体に悪い(笑)
いったい何処の誰がYouTubeにアップさせたのかしら?

それにしても感心するのは、
家族でもないのに今までよく映像を保管してたことだよね。
ビデオデッキだって当時、一台 30万以上はしてたはずだし…

いや〜怖いねえ…PC普及のお陰で便利になった反面、
息が抜けない…無法地帯だ。

そこで私自身からのリクエスト!誰か、
「ハウス食品 ゼリエース」のCM映像持ってる方いませんか?
2バージョンだか、3バージョンあると思うのですが、どれでもいいです。
保存している奇特な方がいましたら連絡ください。
個人的にほしいの…わざわざYouTubeにアップしなくてもいいからね(^^;

ってなわけで、まるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
色々タイムスリップさせて頂いた一日でした♪
THE END


NO.66 2008. 4
柳ユーレイのつぶやき


2年ぶりのつぶやきになります。
別に この2年の間に言いたいことが何もなかった訳じゃないのですが、
否、どちらかというと言いたいことは、それこそ山のようにある訳で。
しかし言い出すと切りのないことや、言うだけ虚しいこと、
結論のでないこと、辛辣になりすぎること、馬鹿らしいこと、
あまりに救いようのないこと等など…

一つのことを考え出すと、トコトン行っちゃうからねぇ、もう極論まで。
何せ極端な性格なもので…もう全部「イラネェ」ってなっちゃう。
でも最大の理由は生来の筆不精。コレです。

まあ、前振りはこのくらいにして軽いとこからぼちぼちと
リハビリを兼ねて行ってみましょうかねぇ。

さて本題ですが、2008年3月31日をもって我が母校、
広島県立府中東小学校が130年の歴史を閉じました。
これにより、私の通った学び舎、全て無くなってしまいました。
幼稚園から高校まで、全てです。

実はこの事実を知ったのは つい最近のことで…
東小学校の閉校式典に出席した折、
旧友たちと取り留めのない思い出話しなどに花を咲かせていた際、

そう言えば「至誠もなくなったんだよねぇ…」
こってり顔のK氏があっさりとのたまわった。
「えっ?なにそれ、聞いてないよ」と私。
至誠とは、これまた我が母校。正式名称は『広島県立至誠高等学校』

「それって何時の話し?」と私。
「もう10年くらい前だよ!」
全然知らなかった…まあ確かにロクな生徒じゃなかったけど、
誰か教えてくれてもいいんじゃないかい?一応卒業生なんだから。

暫し唖然の私に追い討ちをかける様にN氏が、
「二中も無くなったよ!」と、小鼻を膨らませながら得意げに言いやがった。
二中とは『広島県立府中第二中学校』の略称で
当然、私の出身中学のことです。

「……」の私に、
「サクラ幼稚園ももうないよ」と、ダメを押した奴がいたが、
誰だか覚えてない。 オマケに長年過ごした実家も引越ししており、
10数年振りに帰ってきた者に、この仕打ちか!?
まったく心無い奴らのおかげで、時代の流れ、
他人事と思っていた少子化問題をリアルに思い知らされた。

1970年の入学当時、1クラス40〜50人が9クラス。
全校生徒1000人を超える近隣で一番大きな小学校であった東小。
が、今では各学年1クラスなのだという。
過疎の村の話しじゃなく、地方とはいえ
人口4400万人を越す市に建つ学校の話しだという事実。

久しぶりということで何か纏まりのつかない、何が言いたいのか
よく分からない文章になってますが、ひとつ ご容赦を m(__)m

『 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの 』

少子化による生徒数の激減により近隣3校との統合により
4月1日より府中小学校となる。ありがとう東小学校。
THE END


NO.65 2008. 1
川田あつ子のつぶやき


ここ数年、実らせたいことがあり
かなりの比重をおいてエネルギーを注いでいたのですが、
あと一歩のところで理不尽なことに遭遇してしまい、
昨年のうちに着手することが出来ず延期を余儀なくされてしまいました。

二転、三転、いや、十転、百転する話しに、
さすがに温厚な私も、その人間(延期の原因をつくった奴)の資質に、
いい加減ブチ切れ憤りを隠すことが出来ませんでした。
何れそのうち時期が来たら経緯を公表します。実名入り!

…が、今は思考を転換し更なるパワーアップをしました。
困難なことほど遣り甲斐があるってもンさ!

これも実現までの単なる通過点…試練である。
「今、自分は試されてるんだ!」と都合よく解釈することにし、
自分のモチベーションを下げることなく、気持ちを立て直し、
今後も工夫しながら努力し続けようと決意を新たにしたものでした。

しかし、タフになったなぁ…
昔の自分だったら、ふて腐れて投げ出していたかも?
ん〜投げ出したところで何の解決にもならないンだけどね、
すべてが無駄!進歩はないンだよね…
人生とは修行の場、とはよく言ったものです。

今、自身を振り返ってみると、昔は”こだわり”の塊だったのかも?
今は、その一つ一つの”こだわり”も躊躇なく
捨てられるようになった気がする。間口が広くなったというか、
何でも一旦は受け入れてから判断できるようになったというか…
これって、自分にとって凄い進化なのです。

結婚して知らず知らずのうちに身についた「柔軟性」の賜物です。
相方 柳氏が物事に対して変幻自在に対応する姿を
横でみていて、きっと羨ましかったのでしょうかねぇ?
しっかり盗んで身に付けた術かもしれない…Thanks♪
人間生きていく上で 「心の柔軟性」は大切要素!ポイント高っ♪

が、しかし、身体は意思に反して実に正直ですよね?
昨年末より痛くも痒くもない原因不明の発疹が(新種のウィルスか?)
胸、お腹、脇腹にと出現してしまい、新年早々、
見た目に不快な日々を過ごさざるを得なかったのです。

皮膚は精神的なストレス、特に外界
人間関係での葛藤が反映されやすいそうです。
抗生剤で症状は緩和され回復に向かっていますが、
未だ原因不明… なンだろう?
熱もなく痛くも痒くもない不思議な発疹でした。

自然なる自浄作用なのでしょか?
実は相当な精神的苦痛だったのかな?わからない…

今年は十二支の始まり「子」!物事の始まり、新しい生命、
新しい力が出てくることを表現した文字だそうです。
小さなネズミが時間をかけることで、大きな柱を倒すお話しは、
ネズミの歯の強さを表すとともに、小さなことでも継続の力の強さ、
そして小さな事柄でも悪いことは放置してはいけない。
と、いうことを自分たちに教えてくれています。

とっても勇気をいただく 「子年」です!
前年度から引き継いだことを継続することの大切さと同時に、
何かの終わりがあっても新しいことの始まりにしなくてはいけない。
…ということ。

クリエイティブなことをするのには、それなりの覚悟も必要です。
やはり気力、体力、忍耐力、どれをとっても並みじゃぁ、お話しにならない。
どれも大量に備わっていないと前には進めないものです。
また、失うものも多く… なかなか今は地味な作業で、
しびれることも多分にありますが、自分の心に忠実になりつつ、
今年の年末頃には気の良い仲間たちと達成感、充実感、歓喜等、
心地よい感覚を分かち合えるよう精進する次第でありまするよ(^^)/

何か、何が言いたいのか支離滅裂…
いいのいいの… つぶやきだもの。ねっ?
THE END


NO.64 2006. 12
川田あつ子のつぶやき


演出家 久世氏のお墓が完成したとの連絡を頂き、
遅ればせながら東京某所まで挨拶に伺わせて頂いた。
正直、墓石を見つけたときは事実を認めたくないという
感情が込み上げてきて、やはり葬儀のときと同様ショックだった。

それからどのくらいが経ったのだろう…
一方的に随分長い時間 お話をさせて頂いた。
きっと久世さんは目を細め微笑みながら聞いてくれていたのかな?
生前、久世さんが可愛がっていた愛犬なのだろうか?
気持ち良さそうに寝ている犬の人形が供えてあった。

ほんの少しだけ胸のつかえが解消できたような気がする。
果たして私の後悔の念は会いに行くたびに和らいでいくのだろうか…
この日は北風がとても強く墓石が冷たかった。

そしてまたこの年の瀬にきて青島幸男氏死去の訃報が・・・
私の原点でもあるテレビドラマの原作者。
第85回直木賞作品 「人間万事塞翁が丙午」
この作品で私は青島氏のご実家のお弁当屋さんを手伝いながら
幼少期の青島氏を子守りするという役どころ。

偶然にも出演させて頂いた作品の原作者だったということですが、
なによりも思い出深い川田あつ子デビュー作品の原作者 青島幸男さんと、
その原作をドラマ化 演出された恩師 久世光彦さん、
この偉大なる お二人が同年に天国へ旅立たれてしまったということは
紛れもない事実で、この師走にきて胸中とても複雑です。
何でしょうか…とても感慨深いものがあります。

来年4月21日で、デビューして早いもので丸25年。
この2006年の悲しい出来事は川田あつ子の一区切りだと思い、
お二人からの何かのメッセージだと受けとめて、
よい供養ができるよう久世氏の教えを胸に邁進するのみです。
まだ多くは語れませんが水面下で進展しつつある企画を
少しでも良い条件、環境で世に出さねば…と強く思う今日この頃。
「女の(執念)岩をも通す」

久世さん、年明けたら早々に好物もって また会いに行きます。
THE END


NO.63 2006. 3
川田あつ子のつぶやき


「えっ !?」 今月早々.一瞬にして凍りついた。
天才演出家 『久世光彦』 急逝 !!

ごくごく普通の高校生が.いきなり久世作品に抜擢され
当然 芝居などの経験はなく、勿論 芸能界の右も左も分からない、
何も出来ない何も知らない、当時の私に久世さんは
芝居のいろはを叩き込んでくださいました。

1982年・春、川田あつ子 ドラマデビュー。
『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』等の大ヒットドラマにより
久世さんが一世風靡して一時代築いた後の作品でしたので、
年齢を重ね「多少まるくなっている」と言われていたようでしたが、
こと私に関して久世スタイルは健在だったようで、
ドラマリハーサルが終了しても一人居残り、
久世さんとマンツーマンで深夜 2、3時まで地獄の特訓の日々、
本番でも常に怒られ日活撮影所のセットの隅では
上手く出来なくてメソメソの連続の日々…

朝いちから泣いているため、日の暮れる頃には目が腫れすぎて、
「アップが撮れない」と、また怒られカメラ割りを変更されたり、
撮影に行きたくなくて身体が拒絶反応を起こしたりと、
思い返せば語りきれないほどのエピソードがあります。

沢山の人の前で泣かされ、たくさんたくさん恥じもかかされ、
当時の私にとっては途轍もなく怖く世界一大嫌いな存在でした。

しかし あるとき忘れもしない、第8話の撮影時、
ワンシーンだけですが、すごく誉められて、それがもう嬉しくて嬉しくて…
そして第9話からの私は何かが吹っ切れたのか、
もっともっと誉めて貰えるよう何を言われてもメゲルことなく
立ち向かう気持ちが何時の間にか養われていたことを記憶してます。
もっとも後にも先にも久世さんに
お褒めのお言葉を頂いたのは、その1回だけでしたが…

久世さんの長女 彼女とはデビュー当時の私のお手伝いをして頂いて以来、
ずっと今でも良いお付き合いをさせて頂いています。
今回の訃報を知ったとき、彼女に連絡をして事情を教えて頂きました。
あまりにも予期せぬ出来事で家族でさえ実感がまだないようでした。
彼女とも会う約束をしていただけに、
まさかこんなカタチで会おうとは…夢にも…辛い再会…

彼女からは時折「パパがアイツどうしている?って…」
「あっ子の記事とかみつけると切ってスクラップしてたよ」とか聞かされると
そのたび、こんな私を気にとめてくださっているんだ、と嬉しくもあり、
自分に対しての歯がゆさもありと妙に複雑な気持ちでした。

私の中で、ほんとうに大きな大きな存在で、この芸能界で
唯一先生と呼べる色々なことをお教え頂いた恩師でした。

結婚したときに報告をさせて頂いて以来、やっと久世さんに
お知らせができることができた!と思っていた矢先の出来事。

会える機会は幾らでもあるのにも関らず、変にカッコつけて、
ちゃんとした土産話(自分なりの)がないと会いにいけない等と、
変な自意識のせいで結局 直接お会いして
お礼を言うことが出来ないまま、終のお別れになってしまいました。
今はそんな くだらない気持ちを後悔するばかり、
切なくて悔やまれて心に堪えます。私は出来の悪い子だが故に
久世さんは死んでまでも私に教えてくれる…人生の教訓です。

文字通り手取り足取り一から十まで、プロの芝居と厳しさを
教えてくださったこと、食事に連れて行ってくださった先で、
仕事を離れ目を細め優しく人生というものを語ってくださったこと、
今はまだ悲しくて仕方がありません。
会って、きちんとお礼を言いたかった…

私が久世さんを語ることは おこがましいことなのですが、
ご冥福を心からお祈りすると共に心から感謝しています。
一生涯、3月 2日は忘れられない日になってしまいました。
奇しくも 2日は父親と同じ月命日。父に、そして久世さんに敬服致します。
THE END


NO.62 2006. 2
川田あつ子のつぶやき


トリノオリンピックも無事に幕を閉じ
閉会式はイタリアらしく、まぁ ナントお洒落だったこと♪

それにしても日本のメディアは馬鹿の一つ覚えみたいに
メダルメダルメダルと相変わらず喧しかったですね。
必要以上に期待しちゃダメよ。 うるさ〜い!

選手たちは 100分の3とか100分の5で勝敗が分れるわけですから…
それって、どんなン?

全てのことに言えることなのですが、
我が国は哀しいくらいメンタルケアが遅れすぎですよね。
オリンピックでいえば、選手の数以上にスタッフが
何かに託けて同行していたようですが…(そんなに必要?)
果たして その中にメンタル専門の方は何人いたのでしょうか?
このメンタルケアって、勝負の世界では
特に比重を占め勝敗を大きく左右するものですものね。

この国は もっと未来に向けメンタルケアを充実させて
公に値する立場の人間等が少しでも重圧から
解放されるようケアをして頂きたいと願うばかりです。
お金の掛けるところ間違ってない?と感じてしまいます。
先進国 アメリカでは、こういうことは当たり前ですものね。
芸能に携わる人(俳優等)は勿論、子役にだってしっかりケア。
虚像と実像の境で揺れ動くメンタルをサポート。
実は凄く凄く大事なことなのです。

今回 112名の日本選手が出場した中、たった1つの勲章、
超希少!フィギュアの荒川静香さん、おめでとうございます。
イナバウアー! いや、あのフォームは
荒川さんにしか出来ない アラカウアー!! Beautiful〜♪
因みに、今や巷では荒川フィーバー(表現古過ぎ?)真っ盛り。
××米が馬鹿売れしたり、DVDの注文が殺到したりetc…
ホント分りやすい人達だなぁ…
荒川さん くれぐれもメディアに弄ばれないようにしてくださいね。

フィギュア・村主さん、スピードスケート・岡崎さん、及川氏
チームパシュート・メンバー、アルペン回転・皆川氏など等…
夫々の選手は唇を噛み締めたことでしょうが、メダリスト同様
素晴らしい、そのひた向きな姿勢、生き方には感無量でした。
これらの経験がこれからの人生にどんなにプラスになることか、
考えただけで発展ある未来が待ってますね。素敵だなぁ…

しかし…今や留まるところを知らないアジアの帝王・韓国
どの分野に於いても勢いがありますね。
出場選手総勢40名・メダル11個獲得!キムチパワー炸裂!爆裂!
私もあやかって、○○パワーで炸裂してみるか…(^^;
THE END



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