小説CLUB『 Lyrical Essay・我が愛する男たちよ!』
川田あつ子

わがままなラブ・ソング

 
 皆さんお元気にしていらっしゃいますか? 
 
 私?私は元気です。今 机に向かってこの原稿を書いている私は梅雨の真唯中。そして今、これを読んでくださっている貴方は、夏の真唯中。という訳で皆さんには心から暑中お見舞い申し上げます。
 
 今年の夏は暑いですか?今年の梅雨は今のところ けっこう雨がよく降ります。えっ知ってるって……そうだよね。一緒に経てきたんだもんね。
 
 一年には、春、夏、秋、冬と四季があって、だけどそれが一年ごとに過ごし易しい夏があったり、厳し過ぎる冬があったりして、自分が持つ印象って一年ごとに違います。きっと誰の人生においても、やっぱり季節が存在して、そして それぞれにその季節ごとに暖かかったり、辛かったりするものではないでしょうか。
 
 例えば人生を六十で終える人がいたとして、六十年を四季に分けると、一季が十五年、一カ月は単純に五年ということ、八十年なら約七年。
 
 私の人生を六十年と仮定したなら今の私はちょうど待ち焦がれていた夏、七月の上旬ということになる。でも私の夏は長いのか短いのか、暑いのか寒いのかそれこそ、もう夏はとっくに始まっていたのか、まだなのか、それすらも今の私には解らない。 きっと自分がバリバリ頑張れている間は誰にも自分がどの季節にいるのかをはっきりと解ることは出来ないのでしょう。
 
 そして自分の人生の斜陽を感じた時に、ああ、あの頃が自分の夏だった、自分の夏は熱くて輝いていて けっこう長かったな、などと思い返せるんではないでしょうか。でも今を生きている私にも、皆さんにも何となく自分が今いる季節が感じられたり想像出来たりするはずですよね。 若すぎた頃、人生の経験が乏しかった頃、新芽の勢いだけで何もかも突き破ってしまっていた。恋をしても、決して根底に在る考え方は今とそれ程 大差があった訳ではなかったはずなのに、わがままで自分勝手に振る舞ってしまっていた。

 一緒にいるだけで嬉しかったのに、夢を語るだけで愛しかったのに いつしか溜め息を覚えて、やがて溜め息の数が笑顔の数に追いついて そして追い越していってしまった。わがままなラブ・ソングだけを残して…。 
 
 私自身、最近やっと大人の仲間入りを果たせたような気がします。少しだけですが心にゆとりが持てるようになって来たと感じることがあるからです。具体的に言うと以前同じことを書いたと思うのですが「一番優しくしたくない時にどれだけ優しく出来るかが本当の優しさだ」という言葉を心に揚げて生活をして、今、時々それを実践することが出来るようになって来た気がするのです。
 
 もちろん何に対してもしっかりと自分で責任を持たなくちゃいけないから。仕事にしても恋愛にしても、増々その選べる道程というものは少なくなっていったりすることになるのだけれど、それをしっかりと自分の目で見据えられるようにならなきゃいけないと思うのです。
 
 私の家族は、自分で言うのもなんですが、すごく素敵だから、私の愛する仕事も、私の愛する男性も、私が愛するように、いつも愛してくれて来たし、これからも今までとずっと変わらずにいてくれるでしょう。だからこそ これからは今まで以上に〃生きる〃ことへ真剣に取り組んでいかなくちゃいけないと思うのです。
 
 私は今 自分自身で夏を感じているのですが、それは独りよがりで、もしかしたらもう秋なのかもしれない。でも私はやっと夏が巡って来たんだと信じて歩んで行きたいのです。
 
 若い頃に出逢った あの人とどこかの街角で出会ったら、元気!って声を掛けて笑顔で話してみたい。そして私の回りの皆にずっと笑顔でいて欲しい、それが私の願いだから。机に向かってペンを取ったら何故かしら、急にこんな手紙を皆さんに書きたくなってしまいました。だって梅雨の夜ってちょっぴり淋しくなるじゃないですか。でもね、皆さんがこれを目にする頃、私は浴衣に着替えて、髪を肩までおろして、きっと祭りばやしに素敵な誰かと溶け込んで行くの。
 
 じゃぁね、また手紙します。

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