小説CLUB『 Lyrical Essay・我が愛する男たちよ!』
川田あつ子

時代を超えて

「人を好きになることってどんなことだろう?」
 
 暗闇の静寂の中、独りきりで、そんなことを考えたこと貴方にはありませんか?
何時からか何故だか、きっかけも分らずに、その人のことがどうしても気に掛かる、そんな自分を見つけて愕然としたことが貴方にはありませんか?
 それが本気の始まり。
 
 例えば、その人が誰か他の人との恋に悩んでいて、自分は自分の気持ちを伝える術が見つけられないまま、恋の悩み相談室を開校していたりする。彼らの恋が成就することを望まない自分と幸福を願う自分とに板挟みにされて、身動きが取れなくなってしまったりもする。そんな時の自分は外がどんなに青く澄んだ空に抱かれていようとも、どんなに爽やかな風に包まれていようとも、自分の回りだけはジトジトと何か思い切りのよくない雨が降り続いている様で、ずっとずっと気分が滅入ってしまう状態が続いてしまう。それでも本心は悟らせない。その人にだって、自分は最高の友人と演じきってみせたりする。 
 
 ある日、風の便りでその恋が最終局面を迎えているなんてことを伝え聞いたりする。そうなると今度は今までの距離が自然に離れていく。
「チャンスじゃない」
 もちろんそう思う自分もいるにはいる。でも、そこにつけ込むのは卑劣な気がして、それを嫌がる自分の方が確実に強い。だから自分の気持ちを気づいて欲しいと願い、ただ祈るだけで時間を過ごしてしまう。
 
 もしも心の中にある自分の存在がそれ以上のものならば連絡があるはずだ。きっと思い出すはずだと信じ込んでしまうのです。そして大抵は、望みは叶わずに、いつもと変わらぬ日々を送るようになっていくのです。「きっと貴方が本気じゃないから…」そう感じる人もいるでしょう。「本気であるからこそ…」そう感じてくれる人もいるでしょう。「自分が可愛いから?…」違う違う。そんなに単純で情けない話じゃない。「優しさ?…」違う違う。そんなに素敵な都合のいい言葉じゃない。「勇気がない、縁がない」違う違う。何かが足りないとかいう話ではない。それはきっと「何か別のもの」言葉では説明出来ない何かがそこにあったから。二人はそこまでであるべき理由が他にあったからだと思うのです。
 
 不思議だけれど、男と女が寄り添う時というのは、本当にいとも簡単に結ばれるものなのです。例えば、二人の間に大きな障害があったとしても、それは他人が感じることで、二人には何でもない当たり前のことであったり、逆に二人の関係を強くする為の幸福な不幸だったりするのです。また、そうでなければ、それは決して大きく育っていくことはないのです。
 
 貴方を想っています。強く強く心から。貴方が幸福になることだけを願っています。深く深く心から。そして、もしも貴方がそのために私を必要だと感じたなら、私の心に気づいてください。私の心はここにあるから…。貴方が身動きひとつせず、ただ空を見つめている姿が私には見えます。だけど私は遠くから、こうして貴方のために祈ることしかしません。それが私のためでもあると心の奥で感じるから、だって貴方は独りで立ち上がれるはずだから、立ち上がらなくちゃいけないから。
 
 私の心に気づいてください。私の心は、ずっとここにあるのだから…。
 古来の賢人の言葉に「気象は人心の反映である。」というのがあるそうです。その言葉を耳にした時に確かにそうだな、まったく個人的な想いでも心の中には雨が降る、嵐にもなる。嬉しければ青く澄み渡る。きっと個々の力は想像以上に大きく、責任も重いのだと感じたのです。春になって、新しい芽が育ち、大きな美しい花を咲かせる。少しぬるくなった水辺で、子供達が素足になってはしゃいでいる。母親が、カラフルな日傘の下でやわらかな微笑を浮かべている。それを父親が大きな愛で包んでいる。そんな風景が世界中で見ることが出来たなら。
 
 素敵ですね。
今、私から、時間を越えて伝えたい想い…。
 受け取ってもらえますか?
 
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