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小説CLUB『 Lyrical Essay・我が愛する男たちよ!』 |
川田あつ子 |
海に降る雪 |
初めて本当の雪を見たのは、スキ−教室で雪国へ行った時でした。それまでの雪と言ったら首都圏に降るそれで、かなり降り積もり首都機能が乱れても、二本も指を折らぬ内に回復する淡雪だけに、幼い頃の私には、雪は一年の内わずか数日しか出会うことの出来ない空からの素敵な贈りものだったのです。 初めて見た本当の雪というのは、そこに生きる人々にとり、私達には魅惑的な白い妖精達との戦いを意味するものでした。でも私には、都会の汚れを総て暖かく覆い隠してくれる特別なものであり続けたいのです。 だから美しい。 でもそれは、そこで暮らす人達に、素晴らしい春を迎える為に避けることの出来ない魔性のものなのでしょう。 雪はロマンチックなものなのでしょうか? それもきっと心の在り方とその人の置かれた場所によるのではないでしょうか。やっぱり今でも私には、空からやって来るあの白い妖精達は、魅惑的な特別な存在なのです。 少女の頃の夢、それは恋人と冬の海に車を止めて、暖かな車の中からお気に入りのBGMに包まれて、波の上に静かに舞い降りて来る白い妖精達をヘッドライトに映し出して、ただずっと見つめている。それが私の憧れの一場面だったのです。自分が誰かに安全に守られている時は、私達を夢の中に導いてくれるものなのです。 ラブロマンスには、演出効果技能の最後の切り札になるそんな状況の中だと、恋人達はきっと「この娘といつまでも」「この彼なら」などと感じてしまうのでしょう。 ヘッドライトもカ−ステレオも消し、車は海に向け緩やかにカ−ブした。その鼻先を遠くの海に突き出し、動きを静かに停止した。外は寒すぎるのでエンジンはかけられたままだった。夏の間、あれほど賑わっていた海岸も今は一人の人影も見えず寒々としている。私には打ち上がる花火や肩を抱き空を見上げる恋人達の姿がオ−バ−ラップしていた。人垣の中に仲の良かった頃の私達の笑顔も見えた。 「陽子……俺たち……俺さ……」「いいよ、淳、何も言わなくても……いいよ、言わなくて……」私達は二人押し黙って遠くの海を見ていた。私は今夜こそ……そう思っていた。 あの時私がもうひとこと言ったら、もうひとこと言われたら、きっと今頃別々の人生を歩いていたかもしれない。あの時突然あの白い妖精達が舞い降りて来なかったなら……。 淳は私が「何も言わなくていい」と呟いてから、本当に何も言わずにずっと海ばかり見ていた。私は小さく一つ溜め息をつき、最後の言葉を切り出した。「淳、私ね、ずっとずっと二人の事、真剣に考えてみたの……」「雪、雪だ」 その時淳が言った。私はウインドに落ちる雪を見つけた。雪の結晶がはっきりと分かった。私達は黙って暫くそれを見ていた。空からの白い贈りものはひそやかに降り続いた。それはまるで、白い踊り子達の夢にまで見た舞踏会のように。 それがその年の最初の雪だった。 「淳 ライトをつけて」 私の言葉の後、ライトの中に遠くの海が浮かびあがった。 …… 「奇麗だね」 淳は何も答えなかった。ずっと海に降る雪を見つめていた。 いつの間にか小さく、申し訳無さそうにBGMが流れていた。どれ位時間がたったのだろう、白い妖精達の宴は増々華やかに輝いていた。淳は不意に私の横顔に向かって言った。 「ごめん……寒くない?」 「大丈夫……」 私はそう答えて、きっと触れたら冷たいはずの、その白い妖精達の舞いの美しさと暖かさに何故だか今夜はなにも言うまいと感じた。そしてその後、私達の車は自然に二人の家路に向かいゆっくりと滑り出していた。 何度目かの冬を迎え、窓の外の雪を見つめながら、いつもと変わらぬ淳の笑顔を私は今夜も感じている。傍らで一人娘が楽しそうに微笑んでいる。 娘の名前は、雪。 あ−あ、ロマンチックな雪の夜を美しすぎる雪化粧を見つめながら、優しすぎる素敵な誰かと過ごしたいと思いませんか |
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