小説CLUB『 Lyrical Essay・我が愛する男たちよ!』
川田あつ子

時代はどっちに転がるの
 
 一九九五年が過ぎると、二十世紀も残すところ、あと僅かに五年となります。一体私達にはどんな未来が待ちうけているのでしょうか? 

 一月の関西大震災、三月の地下鉄サリン事件、そしてその前後に起きた金融危機、政治不安、人類の存続に関わる疾病、話題になったエボラ熱、報道が激減してどうなったのか気に掛かるHIV(エイズ)と薬害HIV訴訟等の社会問題、そしてそれらに加えて一般人に向けられた銃口、その他の数々の狂悪犯罪をテ−マとしたドキュメント番組等を見たりすると私は自分や家族や友達が今、無事で居ることに心から感謝したくなり、そういった社会状勢と日本を取り巻く状況だけでも不安を感じずにはいられません。
 
 私の様にそういうことにかなり無頓着な人間であっても、心のどこかになにか見えないものへの不安が沈んでいます。その一つ一つの言葉の響きや頭に浮かぶイメ−ジが、
〃時代はどっちに転がるの?〃 と誰かきちんと説明出来る人に問い掛けたい気持ちにさせるのです。
 
 もっともおめでたい私は、日常に流されすぐに忘れてしまうのですが。それは私自身が私らしく、一所懸命に毎日を過ごし、人間として恥ずかしくない心を持ち続ける以外に、出来ることは何も無いということを一番良く知っているからだと思います。 まずは自分自身に責任を持って、そして自分を愛してくれる、自分の愛する人達を大切にする、そんな日々の積み重ねが大事にしたいのです。
 
 こんな不安な時代の中、いつでも私達に爽やかな輝きを贈り続けてくれたジャイアンツの四番打者、原辰徳さんが現役を退かれました。昨年セ・リ−グの優勝を決めた同じ十月八日、東京ド−ムで全国のファンに惜しまれながらの引退でした。
 
 原さんは、
「家族は(自分が)打とうが打つまいが関係無いんだ、家族なんだから……」
 と報道陣に語り、そして三八一本の通算ホ−ムランと共に最後の試合に向ったそうです。初めて球場にいらしたという奥様の目の前で
「このままホ−ムベ−スが来なければいいと思った」
 
 とコメントした三八二本目のホ−ムランを打たれたのをTVで拝見しました。私はそれは、原さんがファンのみんなに感謝を込めて打たれたホ−ムランであると共に、原さんが何度も何度も「ありがとう」と繰り返していた全国のファンのみんなが感謝を込めて原さんに贈ったホ−ムランでもあると思うのです。三八一という数字が常に長嶋さんと王さんの二人を合わせた数字を求め続けられた原さんを象徴する様で少し私は嫌だっただけに、最後のホ−ムランはそれを突き抜けて本当に感動的なものでした。私はいつもONと比べて原さんを悪くいう人達が嫌でした。だってON二人で原辰徳と同時代に果たして原辰徳になりえたかどうか、それは誰にも分からないことで、時代の違う選手を比べること事態がナンセンスなのです。
 
 長嶋、王は60、70年代のNO1。原辰徳は80年代のNO1。それでいいのです。
 試合後原さんは、十五年間ジャイアンツの四番という記者の言葉に「正確には十二年半くらいですか……」と言っていらっしゃいましたが、八〇年十二月八日、ジャイアンツ入団以来九五年十月八日まで、原辰徳は確実にジャイアンツの四番打者だったと全国のファンは感じていると思います。十五年間、私の計算が間違っていなければ、入団以来五四一八日間、原さんはジャイアンツの四番打者だったと思います。長い間本当にお疲れ様でした。そして数えきれない程の夢と勇気を本当にありがとうございました。
 
 時代はどっちに転がるのか、不透明で不確実なそんな時代の時の流れの中、彷徨い続ける私達に、原辰徳という心優しき四番打者は、何が大切なのかを改めて教えてくれた様な気がするのは、私だけではないでしょう。「夢の続き」はきっと原さんだけのものではなく、私達の夢でもあるのです。
 
 愛することと責任を果たすこと、野球を通して原さんが語りかけたこのふたつが出来るなら時代への不安も少しは解消できそうです。
 


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