小説CLUB『 Lyrical Essay・我が愛する男たちよ!』
川田あつ子

愛することは


 夏がやってきます。
 後は少しの間だけ梅雨の季節を我慢すれば大好きな夏になります。現実的に寝苦しい熱帯夜のことを考えたら、多少はうんざりですが、それでも夏というイメージが大好きなのです。
――青い空 青い海 寄せ返す波 南風 飛び交うカモメ 恋愛の季節――

 私の家には季節に関係なく、南の島のポスターが壁に飾られモノトーンを基調にした部屋には少し不釣合いであることを感じながら、いつからか気のつかないうちにそれが壁に収まっています。きっと夏が大好き、それだけのことなのでしょう。
 ただ、いつ、どうしてそんなに好きになったのかは覚えていません。私のこれまでの人生の中で、サブリミナル効果的に夏の楽しい思い出がフラッシュバックされているからかも・・・。

 夏休み、兄貴と虫取り、友達とはプール、それに家族旅行に、少し大人になってから彼と一緒に海や花火やお祭り・・・。
 実際、夏の苦手な人たちは、楽しい思い出が少なかったり、暑いからといって何もせずに過ごしたりしている。それが原因だったりしているように見えます。

 私の場合、暖かい季節に比べると、冬はフリーズ状態で行動範囲が狭くなるので、あまり良いイメージがありません。これがきっと私の約30年を要して受けた、言ってみればナチュラル・マインドコントロールの”季節”についての体感なのです。
 季節の好き嫌いなんて単純ですが、恋愛ともなると少し複雑になってきます。だって、恋愛も男と女のマインドコントロール、限りない優しさの中で、お互いを魅きつけあい、少しでも相手の心の中に忍びこみたがるのですから。

 電話がすごく嬉しいことってありませんか?好意をよせている人からだと毎日の電話だけで、ときめいてしまうものですよね。声が聞けて何でもない話しをして、でもそれで十分。

 幸福感に満たされて、いつの間にかと相手の趣味や価値観を受け入れ、自分の中のある部分をコントロールされていくのが分って、でもそれが嬉しかったりする・・・。もっとも根本的に近いものがないと初めから無理ですが、例えば薔薇が蘭に、邦画が洋画に、そんな趣味、好みの部分だとお互いがそれぞれ受け入れ合うことってすごく幸福だと思うのです。

 今まで1+3+6=10、そういう価値観しかなかった自分に2+3+5、それも10なんだって気づかせてくれて、その後で二人とも「3」は同じだったんだって喜んだりする。お互いが認め合ってお互いに信じあうこと、それが大切なことだと思うのです。
 自分の都合だけで愛するのは愛することとは違います。ただのマスターベーション。

 自分の都合だけで突然、別れを告げるのも、きっと間違っている。お互いが本当に信じ合えていれば、歩く道が違ってきてしまった事実を例え突きつけられても、お互いを認め合ったまま穏やかに、ゆるやかに道を分かつことが出来るのです。

 自分の幸福以上に相手の幸福を望んでいく頃のことを思い出せば、苦しくって辛くってどうしようもなくても自分と一緒にいるよりも相手が幸福になれるなら、そのことに祝福の拍手を送ってあげられるのです。

 優しさが愛の大きな部分を占めるのなら、そんな時にこそ、二人にとって本当の優しさがきっと分るはずです。
 右の頬を打たれたら左の頬を出す、でもその前に何故打たれるのか、それを考え、その愚かさを知りなさい。そんな話しを聞いたことがありますが、その通りだと思います。子供のように無垢な心を持っていれば打たれはしない。自分に打たれるような何かがあることに気づきなさいということですよね。

 地位や名誉や学歴や、そうした相手の属性に惑わされず、その人の人間を見つめ、心を信じる、それが本当の意味の愛することではないでしょうか。
 日本中を震駭させた天災、人災が私たちに大切なものを、もう一度 見つめ直すようにと訴えているような気がします。

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