小説CLUB『 Lyrical Essay・我が愛する男たちよ!』
川田あつ子

場面

 喫茶店・街角・公園・車の中、海で、山で、川辺で、湖のほとりで、ボートの上、太陽の下、星空の下、雨の中、雪の中、もう嫌になるくい至るところでそんな場面が、毎日毎日、恋人一歩手前の人たちによって、まるでテレビドラマのように、織りなされているんですよね。
 大好きなのに、本当に心から愛しているのに、その心をなかなk伝えられずにいる男の子。
 大好きだから、本当に心から愛しているから、ずっとずっとその告白を待ちつずけている女の子・・・。

 でもタイミングが合わなかったり、なかなか二人きりになれなかったり、告白してふられるのが恐かったり、女の子も望んでいながら、だけど今はこのままがいいからって、そいうい場面をわざと避け続けたり、ただお互いがドキドキするだけで、考え過ぎるくらい考えるだけで時間だけが流れてしまう。

 でも、それこそよく考えてみれば、告白できる立場にいられること、告白される立場にいられることがまず幸せだって思えませんか?
 だったらたとえそれが自分の期待とは全く逆の結果になってしまったとしても、自分自身を納得させることが出来ると思うのです。たとえ夢のような結果になったとしても、そのほんの半年後には、それが悪夢になることだってありますから、なにもスタートから悩む必要なんかないんですよね。

 だけど貴方のまわりにいませんか?「下手な鉄砲も数撃ちゃ当る」的な発想で、次から次へとまるで告白して歩くのが仕事のような男たち、そして、そんな場面を自分自身で演出して次から次へと新しい男に移り舞っていくような女たち、そこには相手の気持ちというのがまるで存在していないように感じられるのです。

 そんな人たちにはきっと、私には理解出来ないような新しい感性と新しいルールみたいなものがあるのでしょう。
 でも私は好きになれそうもないし、きっと、ずっと分らないから、これからも一つ一つの恋を長く見つめていけるよう、相手の気持ちを大事に、大切にしているような人たちと一緒に生きていきたいと願ってます。

 1月17日、地獄絵のような大地震が兵庫県中心に襲いました。そういうことが今度は何時、貴方や私たちの身に起こっても、少しもおかしくはないのです。だからこそ「今が楽しければいい」とか「生きているうちに好きなことさえしていればいい」みたいな刹那的な生き方はしたくありません。
 真っ直ぐに、正直に、フェアープレーで人生を歩いていきたい、自分の心を思いやるのと同じ様に相手の心も思いやって生きていきたいと思うのです。

「逆に神の戸が開いてしまった」「世紀末だ!」「人類滅亡だ!」そんなこと言って歩いている人たちがいるそうです。でも見てください。被災された人たちの巣晴らし心の連帯を、ボランティアの方々との優しいふれあいを、全国から寄せられるたくさんの励ましの声を、まだまだ人類だって棄てたものではないでしょう?
 助け合い、いたわり合い、愛し合う心がある限り人類に明日は必ず巡ってくる・・・、ということは、貴方にも私にも必ずあるってことですよね。

 阪神淡路大震災の被災者のみなさま、まだまだ眠れぬ日々が続いていることでしょう。本当に大変だと覆います。こういう時の言葉が私には見つかりません。政府は、もう少し早い動きが出来なかったのか、マスメディアは、大惨事の実況の他にもっと伝えるべきことは無かったのか、もう多方面にわたってたくさんの意見、反省、問題提起がされています。

 私たちは、ただ日本中が体験したこの最悪の経験を無駄にすることのないように考え、力を合わせて磐石の態度を整えていくことが大切なのでしょう。
 見つからない言葉を探してみると結局、「頑張ってください。力を合わせて頑張ってください。」そうエールを送るしかない、そう心から祈るしかありません。本当に僅かながらの募金に協力する力しか私にはないこたがとても悔しい気持ちです。
「お願いだから負けないで」
 もう一度心から祈ります。
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