小説CLUB『 Lyrical Essay・我が愛する男たちよ!』
川田あつ子

君へのラブレター          

 「好きだよ」って、さりげなく伝えてみただけなのに、その一言をすごく意識されて急に気まづくなり連絡も途絶え疎遠になってしまった…

 そんな納得のいかない恋の経験、貴方にはありませんか?

 まだ心の中に ”女性”である もう一人の自分を映し出せなくて、男の子と無邪気に遊んでいられた頃からおぼろげに男女を意識し始めた頃、透き通るほど純真で多感な女の子によくあることなのです。

 仲良しで、お互いの波長もぴったりだったはずなのに、「俺、お前が好きみたい…」
 
 彼のそんな一言に黙りこくってしまい、彼の心も自分の心までも かたくなに見ないように追い込んでしまう。
そんな態度が彼の心をどれほど傷つけ追いつめてしまうかなんて、まるで気づけないままに…。

 何年か経ってから、そんな別れ方を、ふと思い出したとき、
「あの時、彼はどんな気持ちだったんだろ…」なんて振り返ると、なんだかやるせなくなってしまう。

 今ならきっと、すごく明るく、その場を上手にかわせるし、後でゆっくり彼とのことを考えてみて、その答えが ”友達”ならば、それまで通りに付き合っていける。
 さりげなく大人の対応ができる…かな?
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 最近は「子供の心」を忘れない、といえば聞こえは良いのですが、要は未成熟なだけのまったく危険な香りのしない人たちと、逆に「男」や「女」であることを武器にしたプライドだけが やけに高いそんな香りの強すぎる人たちとの両極端になっているように感じます。

 そんな人たち、どちらにも言えることだと思うのですが、何かあるとすぐに目を背け、逃げ出すことで解決したつもりになってしまう、そういう行動がとても多い気がするのです。

 それでは いつまでたっても自分の本当の心も、相手の本当の心も決して見つめることは出来ないんじゃないかって、だから好きな相手に自分の気持ちを伝えられない、好意を打ち明けられただけで、妙に自信過剰になり、相手の気持ちを汲みとる余裕すらなく ただ逃げ出してしまう…そんな人ばかりになって、CMじゃありませんが…「わかってないなぁ」なんて思ってしまうのです。

 なんのために私たちには言葉があって気持ちを伝えることが出来るのか、理解することが出来るのか
そして言葉ではない何かを感じる ”心”があるのかってこと。
 もう少し真剣に考えてほしいのです。

 すべてを捧げた想いが報われないこともあるでしょう。
 でも自分が納得することが出来たなら相手の態度に納得が出来るなら、それはそれで良いと思えるし、一生懸命頑張って、するべきことはすべてしたと自分に言えるのではないでしょうか?
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 「好きだよ」その一言を無視したり、逃げたりなんてしないでほしいのです。
 真正面から受け止めて、きちんと考え、言葉を使い、心を使って対応してほしいのです。

 異常気象、戦争、飢餓、事故、殺人…世界中いやなことばかりのこんな殺伐とした悲しい時代なのですから、せめてひとりひとりの心を大切にしたいと思いませんか。
 そして、こんな時代だからこそ、貴方のことだけを想い続けている人に心で接する「ゆとり」がほしいのです。

 いつか、だれもが、もっと心にゆとり持てたとしたら、恋愛だけではなく大きな視界が広がり、これまで見えなかった”何か”が見えてくるはずです。
 大げさかもしれませんが、ひとりひとりの心を大切にすることで、見つめることで世界中のすべての人たちの心が、そして ”緑の地球の幸福”そのものも、見えてくるのではないでしょうか

 北風に舞う、季節外れの容姿を借りて、私に こんなことを問いかけ答えさせたのはあなただったのですか?
 


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