ワンシーン   川田あつ子


 シャワーの後、髪にタオルを巻いたまま 飲む冷えたお水が どんどん美味しくなってきて、
段々夏が近づいて来ているのを肌で感じています。
 今年で三十回目になる私の夏。
 夏から連想するものと言えば、誕生日、海、南風、潮騒、サングラス、文庫本、ラジオ、そして甲子園、
夏の甲子園かな…

 私は野球の大好きな仲の良い兄貴がいて、その関係もあって、巨人の試合はよく観ていたもので
大体、小学生、中学生の頃は芸能人、アイドルタレントではなくて、
巨人の小林投手の写真を持って歩いていたくらいでしたから…。(もっとも水谷豊氏も持って歩いてましたが…)

 そんな中で、一際 印象残っているのが、同世代の荒木大輔さんの存在でした。
 その三年生の夏…兄貴が荒木さんと同じ早稲田実業出身だったので、
荒木さんが一年生の夏の予選から ずっと大騒ぎされているのを目のあたりにしていたのですが、
その夏は最後の甲子園ということで異常な盛り上がりだったのを覚えています。

 荒木さんは順調に勝ち上がり、あと一つで勝てば連続五回、甲子園出場という試合でした。
まだ桑田、清原くん達が現れる前だったので、その当時、特筆すべき大偉業だったようです。

 その東京大会決勝の試合の九回の裏、二死一打サヨナラ負けのピンチに、
荒木さんがマウンドに立っていました。
詳しい状況はもう記憶の闇の中に置き去られてしまったのですが、とにかくそれは、そんな中での出来事でした。

 荒木さんの投げ込んだ球を鋭い金属音を残してバッターがはじき返した。
誰もが終わった、負けたと思った瞬間、ショートの選手がそれを横っ飛びで抑えて
一塁に大遠投、バッターは一塁にヘッドスライディング、沸き立つ土煙の中、
判定は………セーフならサヨナラ負け。

 時間は流れを止めて、スタジアム、TVの前、全ての視線がファーストに注がれたとき、アウトの声が響く。
そのときに見せた荒木さんの笑顔、爽やかで たくましくて、それでいて繊細で、
何かあると壊れてしまいそうで、助けてあげたい、抱きしめたいような仕草、
だけどその瞬間、荒木さんのチームは、もう一度、一つになることが出来たようでした。

 そしてその試合、勝利をものにして五度目、甲子園出場をはたしました。
が…甲子園では二年生の水野くんがいた、池田高校に敗れることになるのです。

 でも私は荒木さんの野球は甲子園出場を賭けた、
あの予選の決勝戦の あの瞬間に一度 完成されたような気がします。
 もちろん、その後、ヤクルトに入団、そして長い故障、奇跡のカムバックと…
ずっと陰ながら声援し続けてきた訳ですが、そのカムバックまでの長い道のりを乗り越えた力強さは
あの一瞬にあの一瞬のうちに、それも気づかないうちに身に備わったもののような気がしてなりません。

 近頃、私は真夜中ベットの中で本当の優しさということを良く考えます。
 昔、何かで読んだ憶えがあることなんですが、つまりこんなことなんです。
優しくしたいときに 優しくすることは誰でも出来ることで、それはギャングにだって、
殺人鬼にだって、出来るわけで、本当の優しさっていうのは、一番優しくしたくないときにこそ、
変わらず優しく出来ること、ずっと優しくいられること、そういうことだと思うのです。

 そしてそれがつまりは、男性の側から見た女性らしさ、女性の側から見た男性らしさに対応するわけで
荒木さんの今の素晴らしい成長ぶりが、そういう意味の男らしさを感じさせてくれる。
不思議なんだと思うのです。
 だから そのずっと昔の伏線として、あの日のあのマウンドのワンシーンが心に残っていて、
あの表情が忘れられないんだなぁ と最近、特に感じます。
歓声と土の匂い、シマッタという顔、ヤッタという顔と涙と汗がフラッシュバックのように…。 

 ヤクルトの皆さん、荒木さんを負けさせないでくださいね。
もっとも私は、長嶋巨人のファンですけど…。

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