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この仕事も私を成長させ感動をくれた作品で、とても貴重な体験でした。 私の役どころは 明鏡(濮存マ氏)が日本に来日していときの日本人通訳。 明鏡から実の母を捜して欲しいと依頼され 実の母(栗原小巻さん)と再会させるという重要な役どころ。 この撮影で何が大変だったというと言葉です。 スタッフ全員、中国の方なのですが 北京語、上海語、広東語とスタッフ間でも通訳が付くくらいで… 私自身は栗原小巻さんとの撮影以外はすべて北京語でした。 勿論、通訳(中国人)の方がいらっしゃるのですが、 日本語での細かいニュアンスが伝わらないため、監督との会話では トンチンカンな返答が返ってきたりと…アクシデント続発。 それからというもの すべて動いて表現することに徹しました。 非常にストレスが溜まり正直大変でした。(笑) 1ヶ月程の中国ロケだったのですが 当時、日本との通信網も悪く、ほとんど日本語を使えず 言葉のストレスを痛感し、北京語を習うと意気込んで帰国したのですが、 日本での生活の中では全く必要なく (当たり前?)未だに話せませんが… 映画を観てくださった方は 「中国語上手なんですね。しゃべれるんですね。羨ましい」等… 色々と言われましたが、撮影開始までに中国語を勉強する時間は殆どなく 台詞は…実は丸暗記でした。 テープに台詞をゆっくり吹き込んで頂き、朝から晩まで… 歩いている時はウォークマン、車に乗っているときはカーステレオと、 耳で詩を覚えるようにし特訓していました。 日本と違ってお昼休憩、終了時間等はとても時間厳守でしたので、 睡眠がとれるので お肌がボロボロになるようなことがなく それが何より嬉しかったですね。(何事にも契約の世界だからなのでしょうね) そして、いつも撮影終わりに監督が 「私の作品に協力してくれてありがとう。」って仰るんです。 簡単そうで、なかなか言える台詞ではありませんよね。 中国映画界巨匠と言われている監督さんですよ。サスガ〜。 そのひと言を帰り際に毎回言われると 、「よしッ!明日もガンバルゾー!」と、 単純な私は、日々の活力源でもありました。(笑) 私は、そんな人間として大きく優しく素敵な 謝晋監督の作品に参加できたことを誇りに思っています。 謝晋監督の作品 「乳泉村の子」 切なく重く悲しい題材…とても考えさせられる残留孤児のお話しではありますが 興味がありましたら 是非ご覧になってみてください。 きっと 何かを感じられることと思います。 最後まで読んでくれてありがとう♪ 川田あつ子 |
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